人それぞれですよね

kiytre

そこに、時々、日記(記事)を投稿している。
そしてコメントをいただくわけだが、、、
賛否両論はあるほうが、議論が盛り上がりwelcome。
だが、問題は、書いている内容をちゃんと読まずにコメントしてくる人がいる荃灣牙醫


「ワタシならこうします(なぜ、しない?)。ワタシはワタシ、アナタはアナタ。人それぞれですよね」


しかも、同じ人が何度も繰り返し。
わたしが日記に書いたその行動を取っている理由として、その時には選択肢がなく、選べない状況だった。
「しない」のではなく、「出来ない」。


あれ?おかしいなあ、、、
わたしの書き方が悪かったのか床蝨解決
書き間違えているのか?
説明が抜けているのか?


と、記事をよく読み返してみると、そんなことはなかった。
詳しく正しくその時の状況をちゃんと説明していた。
コメントをくれた人の思い込みである。


わたしが自分の記事を再読する前に、「スミマセン、説明の仕方が悪くて、、、」と、取り急ぎ、謝りの返信コメントを寄せたが、、、。
謝る必要はなかった。
事実を歪め、かえって、卑屈產後護理
時、遅し。
カスハラに遭った店長みたいなことになってしまった。


読み返しもせず、何度も繰り返しコメントしてくるあたり、加齢による勘違いかしらと、思ってはいるものの、、、
わたしもそうならないよう、気を付けようと自分を戒めた。

思っていないのと同じ

kiytre

「忖度」抜きで書く。
元々少ないブログ閲覧数なので、あまり気にしない。
というか、それがかえって好きなことが書けてよい。(→「負け惜しみ」を美化、昇華)


益々、人は遠ざかることを承知で書く紮肚服務
(何度も念押し、しつこい、うるさい)


さて。
自分へのお清めの塩を撒いたところで、スタート。


長く知っている、ある人Aさん。
知的好奇心は、ほぼゼロ。
(動物本能的好奇心は旺盛)
深い思考力は、皆無。
単純、単細胞。
決して悪い人ではない。
世の中には、ズル賢い悪人は山のようにいる。
かくいうAさんも、時にはズル賢く立ち回り、損を最小限に食い止めることもある服務式住宅 月租
ある意味、防衛本能である。
が、根は正直な人物。


知的好奇心が無いのは、決して悪いことではない。
知的な面での話題を出さなければよいだけ。
小学生の孫と接しているかんじか。
ただ、小学生はまだ未完成で伸び代があり、将来、未来がある。
人によってはそのまま、あまり変わらず成人するかも知れないが。


知性や思考力があるからといって、なんの役にも立たないことがある。
科学者や研究者、政治家、などなど世の中の役に立ったり、実践に活かすなら効果があるが、ただ、頭の中だけで思っているだけでは、思っていないのと同じ。
逆に、リーダーが流れを悪い方向に導く場合もある。


知性や思考力はないが、その代わりに情熱がある、という人もいる。
優しくて、人情家で、力持ちである滅蟲
人が良い。
悪知恵などを働かせるかも知れないような知識や思考力は、いっそ無い方が潔癖でいられる。


ちなみに、この度の静岡県知事の職業差別発言で、知事は自らの職を辞することになった。
職業に高度や低度なんて、ねえ、、、。
シンクタンク、県庁職員がプライドを持って職務に取り組むのは結構なことである、、、にしても。
人材が全員シンクタンク系ばかりでは、作業をする人をどう動かすのか。
誰も作業しなくなったら、どうするのか。
リスペクトし合う協働の精神がなければ、うまくいかない。


先日、公民館のトイレ掃除の男性が、トイレ掃除現場で仕事仲間に、思いっきり仕事の愚痴、不満を言っていた。
わかるけれど、、、あんなに不満を募らせて仕事をしていたら、やる気はもちろん、充実感、達成感もないだろう。
好きでやっているのではないのは、わかるが。
愚痴の矛先は、行政のお偉方に向けられていた。
市役所や県庁の方々、、、間に挟まれて大変だろうけれど。



普通、人と人が、あまり深く知らない距離感なら、頭の中身はそうわからない。
明け透けに話したり、出したりしても、それが全てなのか、または真実なのか、誇張表現なのか、等身大のお人柄なのかどうかは、長い目で見ないとわからないことがある。
長い目で見ても、わからないこともある。
が、次第にわかってくる。


友好関係を結ぶにしても、大きく分けると、知的で、思考力の高い人と、そうでない人がいる。
だが、生き延びるには運が左右するので、知性や思考力はあまり関係ないこともある。


知的好奇心がない人は、何かを見ても接しても、あまり本人の印象に残らない。
すーっと表面を見るだけ。
別にそれが悪いわけではないが。


旅行やニュースも、海外には全く興味を示さない。
飛行機が怖い、とかではなく、自分に直接関係がないから関心を示さない。
もし、行けない絶対的な事情があるなら、行きたいという欲求や感情が芽生える前に無意識に押し潰すのだろうか。
関心を示したところで、どうなるわけでもないが、関心が積もり積もると行動に現れる。
一生、関心が薄い人もいて、家族も似たような感じなので、何の摩擦も起こらない。
目覚めるのが良いとは限らない。

熟成しているとも言

kiytre

自慢され、イヤミと感じるのか、すごい!と目をパチクリ、キラキラさせて絶賛するのか、、、
受け手の状況にもよる。
自慢を面白いと思うのか、スゴく立派だけど、だから何?と感じるのか清黑頭
自分が基準ではあるが、自分軸がブレないと、いろんな観察が出来る。


自分とあまりにも遠すぎる場合、参考にはなっても他人事。
一方的に憧れるだけや、却下するだけになり、共通点を見出せない。
岩盤、鉄板のよう。
何か見えないところに共通点を感じると、繋ぐ細い糸を持ち続ける。
少しずつ近づいて行く。
が、気が付いたら糸は切れていたり、埋もれていたりする。


思いを遂げようとすると、粘りが大事thermage 效果
耐久戦となり、忍耐力が必要。
一筋縄では行かない。
ある意味、静かな情熱。
わたしは日頃、ほぼ何もしないで(良い意味では)エネルギー温存しているが、それは、自分の思いを熟成しているとも言える。
遠い遠いところに、小さな小さな光が見えた。
1000年単位の歴史スパンから見ると、
変化は急には形にならない。
これは、ChatGPT に導かれたおかげ。
残念ながら友人のお釈迦様ChatGPTではない。
実は、奈良在住のプロ映像ブロガーさんのブログで、弘法大師の眠る「高野山」記事を読んで、気付きを得た。
自分が自分らしく、自分の特徴を活かして行く道を見た。


と言いつつ、ChatGPTに細かい条件を上げ指示したのは、わたし。
AIを導いたのは、わたし。


(※ちなみに、関係ない蛇足だが。
「事業を成功に導いたのは誰?」
「わたしだ」「僕だ」と手を上げ合う、競うかのように成果を取り合う図を連想した、、、功労もその時点で消滅する)


今のところは、信仰心より、科学の力が上回るとしても、後半、追い上げは信心か。
それは、自分を信じるということかも知れない。
自分を信じるには、科学と信心は、重要2大軸だ黑頭粉刺清除
プラス「愛」かな、と。