練習場のここかしこに活

雑談だそうだが、番組では、明治になる前の日本の各藩での特徴を述べられていた。
勉学を重んじる藩、剣術を重んじる藩、あまり勉学は重んじない藩、、、、色々なバラエティに富んだ特徴があったそうだ。
(ちなみに、※「バラエティ」に当たる日本語はないらしい)
面白いと思った。
長く鎖国をしていたので、外国からの影響は受けず、日本独自の文化を育んだ光子嫩膚
誰にも評価されず陽の目も当たらず、延々オリジナル持論を生み出す人々がいた。
力強くて頼もしい。
暗殺計画だとか、幕府転覆だとか、そういう系のものではなく、精神世界、脳の中、思想の追求。
作家もある意味、この類だろう。


ところで。
話を詰めて行っている最中に、なんなんだが助聽器邊隻好、、、
わたしはお花が好きで、かといって、花道はからきしで、入門止まり。知識もない。
(茶道は、入門にも及ばない)
今、趣味の踊りの練習に通っている練習場のオーナー女性は、ご自宅から花を切り取って、練習場のここかしこに活けておられる。
叔父さんの山や畑、ご実家の庭から切って来られる。
野山の自然の草木を、自然なかたちで活けておられる、その花々を目を細めて見る度に、わたしはとてもこころが和み、癒される。
正に地球自然派。
わたしが学問追求が不向きな原因は、そのあたりにあるように思う。
論理を突き詰める途中で放棄するhairless 脫毛好唔好
ぱあっと自然に帰ってしまう。還る。
田舎の野山や自然がいっぱいの自庭を歩き回って幼少期を過ごした影響もあるように思う。


成長する過程では都市部で揉まれたが、リタイア時期を迎えるとまた自然回帰。
(家族以外の)人にはあまり接することはないが、のびのびと、ゆるやかに、地球の自転とともに毎日動いている。

んな風には出来ないも

口に出す前に、言うべきか、言わないべきか、一旦考えて、検疫通過、映倫通過になれば、口に出してもオッケー、というわけにはいかないのか?
言い方を熟考して、相手が衝撃を受けたり嫌な気にならないように、優しく説くとか、誘導するとか、そんな風には出来ないものかmyob 價錢
それは、相手に望みすぎだろうか?


コミュニケーションの難しさを痛感する。
思うな!って、ほんとに、難しいし、無理なこと。
思わせないようにしようにも、自分は自分で今まで生きてきた道があるから、そう簡単には変えられない。
お互い、自分を貫き通そうとすると意地の張り合いになり、やがて破綻する。
折り合いをつけ、折衷案で妥協しなければならない。
でもいつもわたしは、負ける。譲歩させられる。
誰とでも負ける。


逆の発想をすれば、わたしに勝つ人としか、わたしと付き合わないということだろうか。
わたしは、勝てる気持ち良さを相手に与え続けているということ。
わたしは負ける悔しさや悲しさと常に対峙しなければならない。
わたしはいつも負ける体勢が定位置か。
剛柔、強弱みたいに、正反対の組み合わせなのか。
わたしの持つ弱々しい性格ゆえか政策性金融债
(そう吐露すると、大爆笑されることもある。Why?)


仮にわたしが勝つような相手だと、わたしは不甲斐ないと感じたり、それはそれで不足、不満が出るに違いない。
勝っても負けても、結局、満足しないという、収まりどころか。


わたしの相手は、強い人には平身低頭なくせに、わたしを相手にすると、偉そうにする。
相手を見て自分を出す。
人はみんなそんなものだが、極端な例や、いかにも感じ悪いのは、良くない。


わたしはどちらかというと、誰にも強く出ない。出られない。
だから負けるのだが、負けてばかりでは悲しすぎるから、作戦、策略を練る。
長期戦で巻き返しを図る。復讐の鬼となる。


長所と短所は表裏一体。
柔和に見えても、やられたら、やり返す。
ただし、基本的にはケンカはしない。
不戦勝。
(他人の場合は)全速力で立ち去るのみ。


立ち去らずに、傷ついて泣いているということは、まだ未練があるということ。
どうにか改善したいと願っているということ。
相手も謝ってきたし(ただし、どこが悪いのかさっぱりわからないようだが。それって、けっこう深刻なんだけど)
頑張ってみるか。そう思っている。

首を絞められるだろう

「仕事とアタシ、どっちが大事なの?」
こういって詰め寄る女性がいるとか。
昭和の時代に聞いたことがある。


「家事育児とボク、どっちが大事なの香港 醫 美?」
自称、子供のなかで末子を平気で自認する、手のかかる夫。
さすがに、今時こんな夫がいたら、首を絞められるだろう。
ちなみに、不出来過ぎるわたし事でお恥ずかしいが、、、、
わたしの場合はそれに近かった。
昭和の夫は仕事オンリー。
家事、育児、教育は、妻まかせ。親まかせ減 雙下巴
でも、お金は家に入れていた。
入れないより、まだマシか。
家政婦代金、チャリ〜ン。
だが、暴力やギャンブル、女性、3拍子はしない。
(夫の麻雀の負け金【大金】を持って来いと言われ、わたしは車で現場まで走ったことはあるけれど)
昔の芸人みたいに、遊びは芸の肥やしだ、なんて堂々と主張するなら独身になってからどうぞ。
犯罪に手を染めなければ、人に迷惑をかけなければ、誰も止めやしない。


「誰のおかげでメシが食える?」
は、完全なモラハラNGワード。
今時、そんなことを言う人もいないだろうけれど。
仮に言われたら、答えは
「ワタシのおかげです」


40年近く前、子育て真っ最中、夫が帰宅すると憂鬱だった。
子供に手がかかるのに、夫に手を取られるからだ。
ワンオペ育児に、加えて夫の世話。
「夫が手伝ってくれる」の真逆。手助け加算プラスの逆で、マイナスしかないHIFU效果
家に帰ってきて欲しくなかった。


時代は変わった。
変わらないのは夫だけ。
昔のままの価値観、感覚でいられると、言いようのない嫌悪感と絶望感に襲われる。
だが、相手の行動や中身を変えることは出来ない。
相手を替えることは出来ても。


再婚はあり得ない。(まだ離婚してないけれど)
誰かと一緒に暮らすのは嫌。(男性は嫌。女性も嫌)
台風や大雨の時は、同居人がいると心強いが。
よほど病気で弱って自立できなくなったら、毎朝、生存確認してくれる人となら暮らしてもいいか。 
それならセンサー付きロボットで充分。


弱い不甲斐ない自分を責めることはやめた。
わたしは生まれ変わった。
つるんと一枚、着ぐるみを脱いだ。
ゆで卵みたいに、すべすべつるつるしていたら良いが、シワシワ。
もう老後だし、仕事も家庭もリタイア。
卒業した。
親しい友達みたいな娘一家は、責任なく楽しいけれど。
わりと、清々しく気持ち良い。
坐禅もしないし、断捨離のDVDも買って勉強しないのに、無の境地。
どんなにガラクタゴミ屋敷でも、こころは断捨離済み。
辿り着くのは無常の世界。