とんどは来たことがあ

兄が出て行った前後に、姉が一階の勝手口近くに増築された洋室を、個室として確保。
わたしは、姉がいた時は畳に布団を並べていたが、姉が居なくなった和室に、ベッドを置いて、一人でいた抽濕機 推介
兄が居なくなった和室はそのまま使われず、わたしの和室に行く、たんなる通り道となった。
兄がいた和室は6畳ぐらい?
わたしたち姉妹の和室は、8畳ぐらい?で、畳に続いて、腰から上に窓のある板の間(東側)があり、更に人が通れるぐらいの幅数十センチの木製ベランダ?付きの上から下まで窓一面(南側)に面していた。
そして、床の間(西)(続きに違い棚付き)があった。
木製ベランダは、雨戸を閉めるために作られていたと思われる。
周りには陽光を遮る高い建物はなく、明るい。
一階はガラリと格子戸を開けて玄関があり、3歩?ぐらい進んで玄関を上がると、2畳か3畳程の玄関前の畳敷小部屋?(待ち合い?)雪櫃哪個牌子好
そこを通って、右手側に改装された洋室(田舎の家から搬入されたと見られるピアノと、応接セット、ステレオ。昭和色そのまんま)、左手南側に和室2室続き(道路南側和室前には小さな細長い庭、その前は道路から隔てるための塀)、北側、お風呂とトイレの前


に小さな庭、台所、カー?パーキング?スペースがあった。
50坪ぐらいの敷地に建てられた、しっかりした戦前の街の家のようだった。
十分、レトロ感ありありだったが、機能性は良いものの、住み手は忙しく、ほったらかし風だった。
姉は途中から増築洋室に移ったから良いものの、わたしは、畳にベッドという、いかにも時代の継ぎ目の、生活優先、インテリア感覚を無理矢理押し殺したような部屋だった。
特に二階のわたしの部屋は、当時(60年以上??前)流行った、かなり暗い濃い色に、キンキラが散りばめられているような和室仕様の塗り壁で、エグかった。
そのエグい塗り壁の色違いが、夫の実家の別棟に施されていて、わたしはそのテイストが嫌いだった冰箱價格


が、立地は抜群。
学校の生徒の中では、一二を争うほど学校から近かったのでは。(一二の成績を争うほどなら良いが)
とはいうものの、学校に隣接する、学校の真横に家がある生徒が二人いて、その子たちには近さでは負けたが。
電車通学の生徒が少なくなかったため、学校から駅までの、休憩場所にはぴったり。
駅も、電車やバス、色々。
駅を利用して、東西南北、あらゆる方向から生徒が通学していた。
その中で、駅に向かう道の、ど真ん中にある家だったので、クラスメートのほとんどは来たことがある。
親が不在なこともあり、気軽に皆んな寄ってきた。
ただし、悪の巣にはならなかった。
悪自体が存在しない学校だった。
わざわざ遠路遥々通う生徒、嫌なら通わない。
登校拒否生徒はいたのだろうか?
せっかく勉強して受かった学校だから、辞める生徒はあまりいなかった。
地元では優秀でも、地元を離れると優秀な生徒だらけ、、、という話はよくある。
緊張の糸が切れ虚無感に襲われたり、、、。


わたしは、そんなイバラの道を経ず、くじ引きで合格した。
運がいいのか、悪いのか。
(その後は、くじ引きはなくなったようだ)
うちぐらいだ、遠路でもなんでもない、すぐそこ、至近距離に家があるのは。
学年をまたぐと、数人、近くの子もいた。
ちなみに、学校というものは、近ければ近いほど便利だ。
というわけで、秀才の皆さんの中に混じって、家が近いわたしがいた。