書くつもりがないこと

何もない平時はなんと幸せなことか。
まったくまったく、わたしは余生を生きている。
余った生を余すことなく享受している。
明日、終わりだとすると?
そういう発想はしない。しても楽しくない服務式住宅


映画「余命10年」
どうしようかと思ったが、観ない。
演じる俳優や監督は注目の人々。
TVやラジオでも力を入れて宣伝している。
が、わたしはタイトルと、テーマと、予想される展開から、足が進まない。
それより「SING/シング」を選ぶ。
動物アニメ。
登場するキャラクターは動物だわ、アニメだわ、で、子供向きだと毛嫌いする人もいるだろう。
わたしは、人ではなく、動物、しかもアニメ!に、癒されに行く予定だ。
歌や踊りはこころ洗われる。
脳ミソを煮詰めるのはやめた床蝨解決



わたしは今まで別に何をしたわけでも、してきたわけでもない。
だが、わたしなりの美学はある。
ブログには一度も書かなかったし、これからも書かないし、死ぬまで書くつもりがないこともある。
書いても別に自分は救われない。
わたしは、自分が楽しめることしか書かない。
例え、愚痴や悪口、弱音、非論理的、辻褄が合わなくても、自分が救われたらそれでよし。
2チャンネルで有名人に激しく汚い言葉を投げかける人々がいる。
妬み、ひがみからのようだ。
そんなことで自分が救われるのか空氣淨化抽濕機
道の溝にツバを吐くのと同じ。
荒んだこころは、ますます荒むだけ。
出口の無い悲しみを思いっきり涙を流して泣くのはよいと思う。
だが、妬みやひがみは、どうやって吐き出す?
誰にでもある悪感情だと思うが、処理の仕方がはた迷惑である。
一種の犯罪のようなものだ。
犯罪として立件される流れが整いはじめている。