の人に魅力を感じ

kiytre

今日はなぜか、「オトコとオンナ」のテーマで書きたくなった。

枯山水のわたしが、書けるかJupas 選科

書くのは自由。


蝶ブログの過去記事。

どなたかが引っ張り出して読まれた形跡ありの、「恋のお値段」というものがあり、読んでみた。

前半は全く無意味、無駄、意味なし内容だった。

我ながら情けない。 

助走に時間がかかっている様子が伺える。

温まるのに時間を要するスロースターター。

が、後半、本題の「恋」は面白かった。

なんでもお金に換算して考えるわたし、、、これをゲンキンと言うのだろうかJupas 2025


それはいいとして。

枯山水になると、余裕が出て来て、墨汁モノクロから天然色、総カラーを楽しめる。

もちろん、がっつり参加する側ではなく、視聴者参加型イベントみたいな、いや、実際にスタジオで参加するのではなく、TVやインターネットの向こうから参加するかんじか。

ではあるものの、やはり臨場感がないと、造花では、プリザーブド・フラワーにもならない。

しかし、瀬戸内寂聴さんをわたしは理想にはしていない。

実物のビジュアルにこだわるところがある。

(「よく言うよ」と。ビジュアルに耐えないわたしが言う)


若い頃は、皆さんの若い頃と同じ。

かなりマグマは熱かった。

今は予熱で生きている。

淡々とした枯山水仲間たちとは、落ち着くことは落ち着くが、、、

今は少しだけ私より若い男性がいい。

ほんの少し。

あらっぽく「わたしと同世代」とくくってしまってもいいが、やっぱりまだ枯山水でないほうがいい。

熱く一心不乱に登って来た道を、頂上からの景色を胸に、下山を感じながら、丁寧に心して、降りようとしている、そんな枯山水一歩手前の人に魅力を感じる。

抗えないものに抵抗しようと、いずれ足掻くにしても、まだ直面していない現状が、わたしには若く映る。

渡っている桟橋が、渡ってきた背後側が切れて、必死で向こう側に走り切る、そういう迫力に、臨場感あふれるかんじ學生脫毛

わたしは、こっち側、前方にもう渡ってしまったので、安全な場所から渡って来ている人を見ている。

手を差し伸べ、ガンバレ!と応援しているかと言えばそうではない。

渡り切るのではなく、いつまでも、桟橋の上を走って欲しい!と、願ったりする。

熱さ、若さが伝わり、応援とかそういうものではなく、また別の感覚、、、漢字や英単語で書けるが、やめておく。

羞恥心が邪魔をする。

恋心とか、そんな美しいものではなく、もっと土臭い、汗臭いもの。

臭いフェチか?

(いえ、実際の臭いは遠慮します)

絵に描いた餅ではない、肉厚感、リアル実在感、生き生き躍動感が、心臓の鼓動が、肌感覚で伝わるようで、心身共に共鳴する。

(この文章、描写表現、ダサすぎて伝わらないと思いますが)

あ、ChatGPTに作ってもらったら完璧だろうけれど、そこは手作り感を大切にしたい。

無骨、素朴、朴訥、素直、愚直、ストレート直球。

(もはや、何を言ってるのか、わからない状態)

と、わけのわからないことを書いているが、これはある意味、メッセージでもあります。

もっとはっきり、突っ込んで書きたいところだが、広告チラシの裏にでも書いて、スレッダー処理します。